日本民主主義文学会
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日本民主主義文学会(にほんみんしゅしゅぎぶんがくかい)は、日本の文学者の職能団体である。
日本文学には、社会の進歩を希求する潮流が、明治の近代文学の草創期から存在した。1920年代には、そうした作家たちが〈プロレタリア文学〉とよばれるグループを形成していたが、戦争の激化と弾圧によって力を発揮することができなかった。戦後になって、その経験をもとに、蔵原惟人・中野重治・宮本百合子たちを中心にして1945年に〈新日本文学会〉が結成され、日本の文学を社会の進歩とリンクさせる形での発展をめざした。かれらはみずからの潮流を〈民主主義文学〉と名づけた。
新日本文学会は、戦後から1950年代にかけて、平和と民主主義を理念として、労働者や農民の中からの新しい書き手を養成しながら文学運動を続けた。しかし、1960年の安保闘争の評価や1961年の日本共産党の綱領路線への意見をめぐって、意見の対立が生まれた。それは、1964年の新日本文学会第11回大会で表面化した。当時の幹事会の多数派は、大会への幹事会報告を、部分的核実験禁止条約礼賛のような、政治的な意見の相違点、リアリズムやアヴァンギャルドのような創作方法上の多様性の否定、といった当時の会内部にあった意見の対立について、一方に加担する立場からまとめようとした。
それに対して、幹事であった江口渙・霜多正次・西野辰吉は、意見の相違を保留して会の統一を維持する立場から、別の文書をつくり、それを大会に提案して議論を要請した。しかし、かれらの提案は大会議長団によって拒否され、さらに大会後、それを理由に3名は新日本文学会から除籍された。また、津田孝もこのとき会の〈新しい〉方針を批判したという理由で一緒に除籍された。
除籍された4人を含めて、新しい文学団体をつくることが模索され、翌1965年8月26日に、日本民主主義文学同盟が結成された。同盟は、〈人民の立場にたつ民主主義文学〉の創造と普及をスローガンとしてかかげた。その後、2003年の第20回大会を機に、名称をより広げる点から日本民主主義文学会と改め、現在にいたっている。会は機関誌『民主文学』を月刊誌として編集・発行している。
会の組織は、文学者の職能団体でありながら、ひろく全国の文学愛好者にも門戸を広げるという観点から、文学者としての力量を基準として、〈会員(同盟員)〉と〈準会員(準同盟員)〉という二段構えの組織形態をとっている。隔年で開かれる大会への参加、機関誌『民主文学』への投稿は会員・準会員ともに可能であるが、大会での議決権は会員のみに限られている。準会員から会員への昇格には、常任幹事会での審査がある。また、会員や準会員は各地に支部をつくり、そこを単位に文学活動をしている。支部の雑誌に発表された作品が、『民主文学』に転載され、それを機に準会員が会員に昇格することは珍しくない。
平和と民主主義をめざすことが活動の一環でもあるので、社会運動や平和運動にも積極的にかかわっていることも特色であり、文化や社会の問題に関しても、声明文を発表して意見を表明することがある。
- 歴代役員
年 | 大会 | 会長(議長) | 副会長(副議長) | 事務局長 | 『民主文学』編集長 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1965年 | 創立大会 | 江口渙 | 霜多正次 | 村山知義 | 窪田精 | 佐藤静夫 |
1967年 | 第2回大会 | 江口渙 | 霜多正次 | 村山知義 | 窪田精 | 西野辰吉 |
1969年 | 第3回大会 | 江口渙 | 佐藤静夫 | 村山知義 | 窪田精 | 手塚英孝 |
1971年 | 第4回大会 | 江口渙 | 霜多正次 | 窪田精 | 中里喜昭 | 佐藤静夫 |
1973年 | 第5回大会 | 江口渙 | 霜多正次 | 窪田精 | 中里喜昭 | 佐藤静夫 |
1975年 | 第6回大会 | 霜多正次 | 佐藤静夫 | 窪田精 | 山根献 | 中野健二 |
1977年 | 第7回大会 | 霜多正次 | 佐藤静夫 | 窪田精 | 山根献 | 中野健二 |
1979年 | 第8回大会 | 霜多正次 | 佐藤静夫 | 窪田精 | 山根献 | 中野健二 |
1981年 | 第9回大会 | 霜多正次 | 佐藤静夫 | 窪田精 | 山根献 | 中野健二 |
1983年 | 第10回大会 | 霜多正次・窪田精 | 佐藤静夫 | 窪田精 | 森与志男 | |
1985年 | 第11回大会 | 窪田精 | 佐藤静夫 | 山口勇子 | 森与志男 | |
1987年 | 第12回大会 | 窪田精 | 佐藤静夫 | 山口勇子 | 森与志男 | |
1989年 | 第13回大会 | 窪田精 | 佐藤静夫 | 森与志男 | 宮寺清一 | |
1991年 | 第14回大会 | 窪田精 | 佐藤静夫 | 森与志男 | 宮寺清一 | |
1993年 | 第15回大会 | 窪田精 | 佐藤静夫 | 森与志男 | 宮寺清一 | |
1995年 | 第16回大会 | 窪田精 | 津上忠 | 森与志男 | 宮寺清一 | 新船海三郎 |
1997年 | 第17回大会 | 窪田精 | 宮寺清一 | 森与志男 | 新船海三郎 | 森与志男(兼任) |
1999年 | 第18回大会 | 森与志男 | 宮寺清一 | 吉開那津子 | 新船海三郎 | 稲沢潤子 |
2001年 | 第19回大会 | 森与志男 | 宮寺清一 | 吉開那津子 | 新船海三郎 | 稲沢潤子 |
2003年 | 第20回大会 | 森与志男 | 宮寺清一 | 吉開那津子 | 新船海三郎 | 平瀬誠一 |
2005年 | 第21回大会 | 森与志男 | 宮寺清一 | 吉開那津子 | 田島一 | 平瀬誠一 |