日清世界クイズ
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日清世界クイズ(にっしんせかいクイズ)は、1970年10月から1971年3月にかけて、日本テレビ系で放送されたクイズ番組。
[編集] 司会
司会は関口宏、アシスタントは小橋玲子。出題者は局アナ。
[編集] ルール
この番組は日清食品の単独提供、協賛は日本航空で、6名の回答者がクイズに答えて点数を獲得しながら、事前に定めたルートを目指す。ルートは、7点獲得でグアム行き、10点獲得で香港行き、15点獲得でハワイ行き、20点獲得でアメリカ行き、25点獲得でヨーロッパ行きとなっていて、クイズの時間内に各自のルートに到達すると、目的地の海外旅行がプレゼントされる。最高得点獲得者を目指すわけではない。
問題は、正解を出した回答者(最初の問題のみ、司会者)が6列10行のパネルボードから一枚を選ぶことによって出題される。毎問全員参加型の早押しスタイル(一部例外あり)で、不正解の場合二番手の回答者まで回答権が認められる。
パネルには、日本、南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア・オセアニア、中近東・アフリカ、ノンセクションのジャンルがあって、それぞれ1から10までの番号が付されている。回答者がコールしたパネル(たとえば、南北アメリカの7番)がめくられると、「日清食品の旧ロゴ」、「出前一丁」、「出前坊や」、「日清食品(社名)」のいずれかが出てくる。
一番多い日清ロゴのパネルは、通常問題の1点だが、出前一丁のパネルの問題に正解すると、3点獲得になる。いずれも不正解だと、1点減点。
出前坊やのパネル(2枚あり)だと、パネルコールした人のみ回答権が得られ、問題に正解するとルート変更権が与えられ、事前に定めたルートを点数の状況によって変更できる。(番組後期には、クイズ後半に、問題正解者にルート変更権が与えられるようルール改正があったため、パネルによるルート変更権は廃止。)
日清食品のパネル(当初1枚のみ、ルール改正後は2枚)だと、パネルコールした人のみ回答権が得られ、問題に正解するとルート直行で海外旅行獲得となり、その回答者はクイズ終了となる。 ただし、その問題に不正解だと、獲得した得点が総て没収となり、回答者の座席の位置が下がって、回答席テーブルの陰で待機状態となる。(この時、回答席の後ろの得点ボードにある、現在地を示すべく飛行機の模型が墜落するようなごとく下向きになって降下する。)その後の問題で、正解者が出なかった場合に限り回答権が与えられ、それに正解すると、座席の位置が元に戻り0点からクイズの復帰が可能となる。
アメリカ行きやヨーロッパ行きのルートは、日清食品のパネルを利用しないと難しかったが、各回答者のルートがバランスよく設定されていたため、海外旅行獲得者は幾人も輩出した。「アップダウンクイズ」(毎日テレビ系列)のように、複数の海外旅行獲得者が出たり、時間切れによってまったく出ない回もあった。 海外旅行のプレゼントは豪華であり、趣向を凝らしたルール作りであったが、象印スターものまね大合戦(NETテレビ系)の裏番組でもあり、2クールで終了した。
当時はカップヌードルという商品が存在せず、日清食品の売り出しの商品といえば、出前一丁とチキンラーメンであった。
[編集] 番組の変遷
日本テレビ系列 日曜19:30~20:00枠 | ||
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前番組 | 日清世界クイズ (1970年10月 - 1971年3月) |
次番組 |
コント55号と世界のサーカス ※19:00~19:56 |
日曜日だョ!ドリフターズ!! ※19:00~19:56 |