日田祇園祭
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日田祇園祭(ひたぎおんまつり)は、大分県日田市隈・豆田・竹田地区の豆田・隈それぞれの八坂神社及び竹田若八幡宮(若宮神社)で行われる曳山行事を含む厄除け神事。京の祇園祭を手本とした祗園祭りの一種。曳山行事は毎年7月20日過ぎの土日に行われる。平成8年、国より重要無形民俗文化財の指定を受ける。
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[編集] 歴史
四百余年前に日隈城内にあった八坂神社を廃城の折、現在の隈、寺町付近に移す。その後厄除け神事が行われ、江戸時代中期正徳4年(1714)南条金左衛門代官時代頃に京都の祗園山・鉾を手本として本格的な山鉾が造られるようになったとされる。
[編集] 囃子
囃子は篠笛をベースに、太鼓、小太鼓、三味線を使用し、俗曲、端唄など、江戸中期から明治大正までの30曲を演奏する。独特な音色で人気があり、特に篠笛は京祇園のものと違い、内にこもったような音を出す。
ほとんどの曲は緩やかな曲調であるが、最近では特異にアレンジされた早い曲を演奏する山もある。
[編集] 山鉾の形体
博多祇園山笠の山笠と同じ人形山。歌舞伎の演目などを本に華題に造られる。人形師は長嶋作造氏。背後には、赤い布地に伝説上の動物、人物等の刺繍を施した見送りを掛ける。晩山(宵山)には、幾つもの提灯を取り付ける。 現在の高さは電線の影響もあって、10m以下に抑えられている。江戸末期から明治期には15mから最高で20mに及んだが、電線が張られるようになると5mに抑えられるようになる。戦後、電柱が高く造られるようになり、平成山鉾(平成2年造)で10m級が復古し現在、隈・竹田地区の山鉾で徐々に高さが回復してきている。豆田町では高さにおいて回復の遅れがあるものの、橋越えのためのブレーキがある下町や低い5m山から高い8m山に変形する中城町などの個性がある。
山は、豆田地区(港町・下町・中城町・上町)4基、隈・竹田地区(大和町・川原町・若宮町・三隈町)4基と八坂神社の平成山鉾含め、両町あわせて9基ある。