日野康子
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日野 康子(ひの やすこ、正平24年/応安2年(1369年) - 応永26年11月11日(1419年11月28日))は、室町時代の人物。室町幕府3代将軍足利義満の室。父は日野資康。母は足利義量の娘。院号は北山院。後小松天皇の准母。南御所と称された。
1394年(応永元年)ころに日野業子に先立たれた足利義満の後室となり、北山第南御所に住したことから南御所と称された。1406年(応永13年)後円融天皇の皇后で後小松天皇の生母である通陽門院藤原(三条)厳子の崩後、義満は天皇一代で諒闇(天皇の服喪)が2度あるのは不吉であるという理由から、関白一条経嗣と通じて室である康子を天皇の准母とし、翌1407年(応永14年)に准三后・従一位に叙任され、院号宣下を受けて北山院と称された。1408年に義満が没した後、4代将軍となった足利義持とは疎遠であったことから、康子の葬儀は国母に準じた儀ではなかった。