朝日屋
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朝日屋(あさひや)は、かつて大阪府にあった模型店(メーカー)。正式には朝日科学玩具工場という。戦前から戦後にかけて『科学と模型』を出版し、電動モータや蒸気機関で動く船舶模型、35mmゲージおよびOゲージの鉄道模型、及び部品類を製造販売。後に1/50の日本型Sゲージの規格を提案、製造販売していた。
模型船舶、機関車用蒸気エンジンや模型用モーター等の部品を供給し、日本の模型界の黎明期を支えた会社である。製品は外観は実物に忠実というよりティンプレート的な物が多く、構造は実際に実物同様の原理で作動する事に重点がおかれていた模様。当時としては珍しく、東のカワイモデルと並び、製品を供給するだけでなく啓蒙書として雑誌を発行する等の活動もしていた。カワイモデルが趣味としての模型製作に重点を置いていたのに対して朝日屋は科学教育教材の一つとして模型を扱っていた様子が伺える。(この辺り更なる考証の要有り)
特筆すべきは日露の戦役で日本海軍が使用したマルコーニ社製の無線機と同じ原理で作動する火花送信機とコヒーラ検波器を使用した無線操縦(ラジコン)の製作記事が既に昭和12年の『科学と模型』に掲載されていた事であり、恐らく我が国における最初のラジコンの製作記事であると思われる。(昭和5年、日比谷公園で陸軍の長山大尉が無線操縦の戦車を公開したこともある、又、標的艦攝津も演習時、無線操縦で操縦できた)この事からも模型雑誌の名前に「科学」という文字を入れることにより科学を積極的に応用する同社の先進性が伺える。(戦中、一般人の無線送信機の使用は禁止されていた筈だが検閲に引っかからなかったのだろうか?)
製品の価格帯は、当時の所得水準を考えると高額で実際に購入できたのは比較的恵まれた読者だったであろうと考えられる。しかし、連載されている製作記事は魅力的ですぐには実現できなくても創造力を育み、もたらされる知的好奇心は技術向上の励みになったであろうと思われる。『科学と模型』の執筆者はいずれも当時の産業界で活躍していた方達で、掲載される記事は工学理論的にも裏付けされた物であった。
戦前の『科学と模型』では欧米起源の0番ゲージよりも国産の35mmゲージを積極的に推奨する記事があり、当時の模型界を取り巻く様子が伺える。社会情勢により徐々に戦時色の強まった記事になっていく。又、戦局の悪化と共に紙質が悪化、項数も減る等、当時の様子が伝わってくる。読者からの投稿欄を読むと『科学と模型』の読者は内地のみならず広く台湾等、当時、日本の主権の及んでいた地域でも購読されていた事が伺える。
戦後、窮乏状態が続いたが、カワイモデルが進駐軍向けのHOゲージの線路、車輪を流用した16番の普及に貢献していった一方、朝日屋は1/50、22mmゲージの日本型Sゲージを提案、販売するが振るわず、その後休止に至る。空襲で周辺の製造基盤が失われ、インフレによる資材高騰が衰退に拍車をかけ、復興に必要な生活必需品に優先的に資材が割り当てられ、優先順位の低い模型関係は後回しにされた事も一因と思われる。
当時の製品は現存数が少ないが、我が国の青少年への科学、技術の啓蒙、普及に果たした役割は大きく、当時の読者層が戦後の復興、高度経済成長を支えた事は想像に難くない。
- 機玄
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