木瀬部屋
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現在の部屋は平成15年12月1日、元幕内肥後ノ海が三保ヶ関部屋から独立して創設した。
[編集] 木村瀬平(木瀬)親方
- 肥後ノ海直哉(元前頭・熊本)
[編集] 旧木瀬部屋
伊勢ヶ濱部屋の幕内力士だった桂川質郎は部屋付き親方の傍ら、一般人に相撲を指導する相撲練成道場を開いていたが、昭和33年に道場の門人が桂川への大相撲入門を志願したため、独立して部屋を興した。娘婿の伊勢ヶ濱部屋の幕内清の盛の引退後は名跡を譲渡して部屋経営を任せ、桂川は相撲界を勇退して、前記相撲練成道場の運営に戻りつつ、さらに居合道の道場を興した。清の盛の先代親方は、小結青葉山弘年、十両天剛山隆清を育てた。この部屋は平成12年2月、親方の定年と同時に桐山部屋へ力士を預けて消滅した。
[編集] 関連項目
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