本光院
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本光院(ほんこういん)とは、
[編集] 斎宮
本光院(ほんこういん、? - 宝永7年7月25日(1710年8月19日))は、江戸幕府6代将軍徳川家宣の側室。小尾直易の娘。名は斎宮(いつきのみや)。
父の直易は、元々は徳川忠長の家臣であったが、お家の改易で浪人になり、縁あってまた、甲府宰相の異名をもった家宣の下に仕えた。実名は「いつき」であるという説があるが、これは誤りである。奥に上がってからの斎宮という名は、家宣が京風を好んだためであろう。
宝永7年(1710年)に、家宣との間に懐妊の兆しがみえた。しかし、同年2月24日に、流産。斎宮も死去してしまう。そのわずか二年半後、家宣も没した。斎宮の墓所は東京都墨田区にある常泉寺。本堂の裏手が墓地で、その中央を進んだ奥に斎宮の墓碑が立つ。墓碑には徳川家を象徴する葵の御紋が刻まれている。
[編集] 足利直義の正室
本光院(ほんこういん、生没年は未詳)は足利直義の正室。渋川貞頼の娘。
正平2年(1347年)に、直義との間に如意丸を出産するが、そのわずか4年後に死去してしまう。本光院については、その他の詳細は伝わっていないものと思われる。
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