本庄房長
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本条 房長(ほんじょうふさなが)は、室町時代の人物。越後の国人である本庄氏当主。本庄長員の子。本庄時長の父。三河守。
守護の上杉氏の支配に対し反抗的で、延徳元年(1489年)反乱を起こし、数年後の明応2年(1493年)、同じ揚北衆の黒川頼実と共に反乱を起こすなど、独自勢力を保持した。下記の房長は孫である。
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本庄 房長(ほんじょう ふさなが、1510年(永正7年) - 1539年(天文8年))は、戦国時代の人物。越後の国人である本庄氏当主。本庄時長の子。本庄繁長の父。大和守。なお、祖父(時長の父)は同名の「房長」である。
越後北部の有力な国人で、「揚北衆」の一人であった。越後の守護である上杉氏に従って長尾為景と争ったが、1539年、一転して上杉定実と伊達実元の養子縁組に反発して挙兵し、大宝寺氏と同盟を結んで定実や伊達氏の援軍と戦う。ところがこれに反発した弟の小川長資に居城を奪われ、その衝撃により病に倒れて急死した。