李建成
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李 建成(り けんせい、589年 - 626年)は、唐の初代皇帝高祖李淵の長子。高祖の即位に伴い皇太子に立てられたが、玄武門の変にて弟の李元吉とともに次弟の李世民(太宗)に暗殺された。
旧唐書によれば、李建成は無能でありながら李世民の才を嫉み、李世民を暗殺しようと謀って逆に殺されたとされるが、真に無能であったか、真に李世民の暗殺を謀ったのかは謎であり、既に皇太子に立てられていた建成が、李世民の暗殺を目論む様な危険な事をする必要があったかが大いに疑問である。(もちろんそう言う例が無いわけではない。)史書には高祖が世民の才能を愛していたので、建成を廃位しようとしたと説明されているが定かではない。
建成が無能であったかという事に関しては、世民に比べれば功績の点ではかなり劣ると言える。ただし皇太子と言う役割上、皇帝に何事かあったときに即座に即位し、指示を行わなければならないので常に父の傍にいて離れる事が出来なかったからという理由もある。もちろん世民が有能である事は間違いないだろうが、これが建成の無能の理由にはならない。
旧唐書は、太宗時代に作成された記録をもとに書かれたと思われ、自らを正当化するために兄建成を貶める必要のあった太宗の意向が反映されている可能性が高いのである。