村国島主
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村国島主(むらくにのしまぬし、生年不明 - 天平宝字8年(764年)9月20日))は、日本の奈良時代の人物である。藤原仲麻呂に仕え、美濃少掾になったが、764年の藤原仲麻呂の乱のときに殺された。後に叛意がなかったと認められた。贈従五位下。
村国氏は美濃国各務郡の豪族で、島主の祖父、村国男依が壬申の乱で功を立ててから、都で中級官人を輩出するようになった。男依の子としては村国志我麻呂が知られるが、これが島主の父かどうかは不明である。
島主ははじめ藤原仲麻呂に仕え、美濃少掾に任じられた。宝字8年(764年)に藤原仲麻呂が反乱を起こすと、朝廷側は仲麻呂の募兵と脱出を阻止するために美濃国に固関の使者を遣わした。島主は朝廷に味方するためにやってきたが、使者は島主を仲麻呂派とみて殺してしまった。9月20日のことである。2年後の天平神護2年(766年)11月10日に、島主に罪がないことが認められ、従五位下が贈られた。