来迎院 (京都市東山区)
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来迎院(らいごういん)は京都市東山区にある真言宗泉涌寺派に属する仏教寺院。山号は明応山。本尊は阿弥陀如来。
泉涌寺の塔頭。禁裏御菩提所泉涌寺別当、御寺(みてら)別当来迎院とも称する(「御寺」とは泉涌寺のこと)。
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[編集] 歴史
寺伝によれば、空海(弘法大師)が806年(大同元年)に唐(中国)で感得した荒神像を安置して来迎院を開創したとされる。それから数百年後、泉涌寺第4世月翁律師が藤原信房の帰依を受け、来迎院の諸堂を整備したが、文明の乱の兵火により炎上し、荒廃した。
その後、1577年(天正5年)、中興の祖・舜甫長老が織田信長より50石を受け、1597年(慶長2年)には前田利家が諸堂の再建を行い、徳川家も別朱印と100石あまりを与えられ、経済的な基盤も整い、ようやく復興を果たした。
朝廷では、安産の勅願所として信仰を集め、禁裏御菩提所の別当になった。
1701年(元禄14年)、大石良雄は赤穂を退去後、外戚にあたる当時の来迎院長老を頼り、寺請証文を受け山科に居を構えた。来迎院の檀家となった。
大石良雄は来迎院の林泉を好み、書院と茶席含翆軒を設けた。含翆軒は、弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水した名水「独鈷水」があるのを喜んで設けたと伝えられている。また、念持仏として大石良雄が、勝軍地蔵菩薩を信仰していたとされ、京阪にいる元赤穂藩の同士と密議を行ったと伝えられる。
[編集] 信仰
- 来迎院に安置の三宝大荒神像は空海(弘法大師)の作と伝えられる(実際の制作は鎌倉時代)。「ゆな荒神」とも称され、衣食住の3つの宝を授ける広福天王守宅神であるが安産の御利益もあるとされて信仰を集めている。また、本堂に勝軍地蔵を祀っている。
- 京都泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所となっている。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 木造荒神坐像
- 木造護法神立像 5躯
- その他
- 大石良雄肖像
- 大石良雄遺愛茶釜(銘・阿弥陀堂)
[編集] 施設
- 本堂・荒神堂・鎮守社・書院・含翆軒・客殿・庫裡・山門
- 含翆庭(池泉回遊式庭園)・心字池
- 独鈷水・御願石(独鈷水に近接して修行大師像が安置)