東郷重位
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東郷 重位(とうごう ちゅうい又はしげたか、永禄4年(1561年) - 寛永20年6月27日(1643年8月11日))は薩摩藩の武士にして示現流剣術の流祖。名字は瀬戸口、通称は藤兵衛。肥前守。諱は重位、示現流では口伝で「ちゅうい」とする。瀬戸口重為の三男。北薩の土豪渋谷家分属の東郷家の疎族にあたり、幼名をを瀬戸口弥十郎というため、史料中には瀬戸口藤兵衛または瀬戸口肥前守の名で登場することがある。
[編集] 経歴
天正15年(1587年)、仕えていた島津氏が豊臣秀吉の前に敗北し、重位は島津義久に従って上洛する。本当の目的は内職のため金細工の修行をすることだったらしいが、天寧寺の善吉和尚に出会い剣術に開眼、修行の後薩摩に帰国する。庄内の乱の勃発した慶長4年(1599年)頃には島津家中内に既に大勢の門人をかかえていた。やがてその名声が島津忠恒に聞こえるところとなり、慶長9年(1604年)、忠恒の御前試合で当時の島津家の剣術師範を破り、島津家兵法師範となる。ちなみにこのとき逆上した忠恒を一刀のもとに打ち伏せたという逸話も伝わる。その後、南浦文之により「示現流」という流派名を命名される。
きわめて礼儀正しく、物事を荒立てない人格者であったといわれ、薩摩藩家老から島津家内部の密事に関わる相談事を受けることも多々あった。後に薩摩藩密貿易の拠点とも言われた坊津の地頭となったところからみても、剣術だけの人物でなかったことは確かである。
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