松平定郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 定郷(まつだいら さださと)は、伊予今治藩の第5代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄15年4月29日(1702年5月25日) | |||
死没 | 宝暦13年4月19日(1759年5月31日) | |||
別名 | 左膳(幼名) | |||
戒名 | 常照心光院 | |||
諡号 | 甘裳 | |||
墓所 | 東京都江東区白河の霊巌寺 | |||
官位 | 従五位下、筑後守 | |||
藩 | 伊予今治藩主 | |||
氏族 | 松平氏 | |||
父母 | 父:松平定道、養父:松平定基 | |||
兄弟 | 松平定郷、松平定武、松平定秀 | |||
妻 | 正室:松平定基の娘・遊 | |||
子 | 2男1女(松平定温、松平定延) 養子:松平定休 |
元禄15年(1702年)4月29日、第3代藩主・松平定陳の弟・松平定道の六男として生まれる。享保8年(1723年)に第4代藩主・松平定基の養子となり、享保17年(1732年)2月2日の定基の隠居により後を継いだ。このとき、従五位下、筑後守に叙任する。
藩政においては、享保の大飢饉により大雨と旱魃が相次ぎ、虫害にも苦しめられ、本来なら3万石の収穫を5005石ほどしか収穫できず、死者が相次ぎ、御用銀の借り入れや神社の祈祷を行なうほどであったという。延享5年(1748年)2月から宝暦12年(1762年)まで大坂加番を務めている。宝暦13年(1763年)には先代からの総社川の改修工事が完成した。
宝暦13年(1763年)4月19日に死去。享年62。
子の松平定温は前年に早世したため、定温の長男・松平定休が後を継いだ。
|
|
|