松平頼慎
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松平頼慎(まつだいら よりよし、明和7年6月28日(1770年7月20日) - 文政13年7月13日(1830年8月30日))は、江戸時代の大名。陸奥守山藩の第4代藩主。水戸支流頼元系松平家5代。守山藩4代藩主・松平頼亮の次男。母は側室川上氏。
正室は徳川治保の娘。子は松平頼誠(長男)、松平頼賢(次男)、松平頼永(三男)、娘(相馬益胤正室)、娘(大嶋義矩室のち大嶋義彬正室)、娘(大河内松平正義正室)。官位は従四位下、大学頭、侍従。
享和元年(1801年)、父の死により家督を相続。天保元年(1830年)死去し、長男・頼誠が後を継いだ。
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