植村俊平
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鉄道事業に関する知識に長けていた。
1909年(明治42年)12月に辞任した山下重威の次の市長の選考は難航し、辞任8ヶ月の1910年(明治43年)8月8日に第四代目大阪市長に就任する。
得意の鉄道事業の知識をいかし、市電の整備につくすが、1912年(明治45年)1月に発生した南の大火の焼け跡に市電を通すことに関し、大阪瓦斯と対立、当時の府知事が大阪瓦斯側に立ったため、同年7月25日に辞任。
市民も市会も再任の要望が出たが、固辞したため、またまた市長選考が難航することになる。
[編集] 参考文献
- 『大阪市の歴史』(大阪市史編纂所 1999年4月 創元社 ISBN 4422201387)
[編集] 関連項目
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