橋本和美
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橋本 和美(はしもと かずよし、1978年12月21日 - 2006年10月13日)は、日本のオートレース選手。埼玉県出身。26期、川口オートレース場所属。主な競走車呼名は「TFパワーボム」。
[編集] 通算成績等
- 18年度後期適用ランク:A級第19位
- 選手登録年月日:1999(平成11)年4月1日
- 通算成績…1着:126、2着:102、3着:107、着外:534
- 通算優勝回数 3
[編集] 人物
橋本は川口オートレース場所属の若手では中堅といった位置の選手であった。派手さはないが、随所に光る技があり、若手では珍しい技巧派のレーサーで、単独0ハンからの逃げっぷりは見事なものだった。2006年の7月に川口オートレース場で開催されたGI第30回キューポラ杯争奪戦では見事決勝戦へ進出。決勝戦では惜しくも3着と惜敗したが、決勝戦後のコメントなどからも、人柄の良さとレースへの真摯な思いが見て取れた。
ファンサービスにも積極的だった。川口オートレース場で毎年夏に開催される「たたら祭り」ではイベントやチャリティーオークションなどに積極的に参加、ファンとの交流をしていた。その人柄の良さから先輩レーサーには可愛がられ、後輩レーサーからは兄貴分と慕われていた。
しかし、2006年10月13日、平成18年度埼玉県営第2回第2節初日、朝のスタート練習の際に内側の大木光(28期、川口オートレース場所属)がスタートに失敗、大きく膨れた大木を回避しようとした橋本は咄嗟に車を外に向けたが、その際に落車。更に、アウトコースを走行していた阿部剛士(27期、川口オートレース場所属)に激突され受傷。緊急措置が施され、意識不明の状態のまま川口市立医療センターへ収容されたが、手当の甲斐もなく同日午後0時25分、頸椎損傷により殉職した。享年27。
1993年10月のセア乗り換え以降の殉職者は藤川順二(10期、船橋オートレース場所属。1999年3月23日、飯塚オートレース場にてスタート事故で殉職。享年49)、中村政信(19期、飯塚オートレース場所属。1999年12月23日、飯塚オートレース場にて複合事故にあい殉職。享年33)、入江輝義(7期、山陽オートレース場所属。2002年2月3日、川口オートレース場にてゴール直後に落車しフェンスに激突し殉職。享年53)以来4人目となってしまった。
川口オートレース場は走路改修が2006年8月~9月に行われたばかりで、タイヤの食いつきがよく、レースのスピードが上昇していた。故・入江選手と同じ改修直後の新走路での事故、そして、2006年6月に亡くなった敷地吉男選手に次ぐ現役選手の死に、関係者・選手・ファンの間でも衝撃が走っている。
事故翌日の10月14日、朝練習前に走路内の事故現場において神道形式のお払いと追悼式が選手全員参加によって行われた。
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