機物神社
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機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市にある神社。七夕に関する伝説で知られる神社である。
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[編集] 祭神
- 天棚機比売神
- 栲機千々比売神
- 地代主神
- 八重事代主神
[編集] 由緒
この神社の創建年代等については不詳であるが、碑によると
当神社は由緒深く霊験あらたかで古より崇敬者多く、勧請創建の年月日は判りませんが、伝説によりますと、文明八年(西暦1476年)三月十一日に、神祇管領の卜部兼倶の奉幣があり、元亀三年(西暦1572年)三月に織田信長軍勢の狼藉陣取放火の禁制を出され、天正元年(西暦1573年)十一月十七日織田信長神境を東西二百六拾間南北六拾七間余と定められました。又、神職の席次争いについて下知せられ、以後は神前で『くじ』で定めることになりました。天正十年(西暦1582年)六月九日明智光秀武運長久を祈り、初穂料白銀壱百枚を奉納あり、天正十一年(西暦1583年)七月九日豊臣秀吉、信長の先例に依り、制札を建てられました。天正十六年(西暦1588年)四月十四日豊臣秀吉聚楽第行幸の日の快晴を祈って感応あり、四月十六日神饌米百俵宛を永年寄附せられ、文禄三年(西暦1594年)五月十日豊臣秀次武運長久大願成就、感応により神殿の新造神饌領、両膳部、下行、馬飼併びに踊役等の配米として歳出米壱千俵を奉納、寛文七年(西暦1667年)社地の境界を信長所定の通りとせられ、宝永五年(西暦1708年)大破の為に社殿再建、これが現存のものであると伝えられています。明治八年三月十日、本地の産土神に神宮寺、南町の陣じゃを合祀し、現在に至っています。同四十年九月神饌幣帛料共進社に指定されていました。
とされている。
引用
http://www.norichan.jp/jinja/renai/hatamono.htm
[編集] 所在地
- 大阪府交野市倉治1-1-7
[編集] 外部リンク
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