死に体
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死に体(しにたい)は、相撲用語で自力で回復不可能なほど体が崩れた状態を指す。「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう。反意語は「生き体」。
この状態になった力士は、実際に土俵上に体が触れたり土俵を割るなどしなくても、その時点で負けになる。逆に対戦力士は、死に体となった力士より手などを多少早くついても、負けにはならない。明文化された規則ではないが、自分や対戦相手が死に体となったら、無用な怪我をさけるため、その時点で廻しや相手の体から手を離し、力を抜かなくてはいけないとされている。しかし近年の大相撲では、勝負判定にビデオ再生が採用されたことの弊害として、死に体からでも無理な投げを打って逆転を狙う力士も見られ、力士の怪我の増加の一因ともなっている。
「死に体」について明確な基準はなく、実質その時々の行司や勝負審判の判断にまかされている。目安として、
- 腰や膝が伸びきって棒立ちとなっている。
- つま先が土俵をかまず、かかと立ちになっている。
- 相手力士にただしがみついているだけで、相手がいなければそのまま倒れるような状態。
などを指すことが多いが、あいまいでわかりにくいという批判が、長年好角家の間で言われている。一方で、例えばある力士は一度傾くとそこから倒れるまでが非常に早く、別の力士は同じような体勢からでも持ち直す足腰の強さがあるなど、個人差もあって、一律に明文化できる概念でないことも確かである。
死に体の判断をめぐって有名な一番は、1972年一月場所中日の北の富士-貴ノ花戦。北の富士の外掛けを貴ノ花が弓なりになってこらえ上手投げを打ち返し、のしかかった北の富士が先に手をついた。立行司木村庄之助 (25代)は貴ノ花にあげたが、物言いがつき貴ノ花の死に体として北の富士の勝利となった。勝った北の富士も、テレビでビデオ再生された取組を見て、自分の負けかもしれないとこぼしたほど微妙な判定で、取組後日本相撲協会に抗議が殺到した。また、2004年七月場所中日の朝青龍-琴ノ若戦では琴ノ若の上手投げで朝青龍が仰向けになりながらもブリッジ状態でなお廻しを離さず、バランスを崩した琴ノ若が朝青龍の頭に覆い被さらぬよう先に手をついた。立行司木村庄之助 (31代)は琴ノ若にあげたが、物言いの末に同体取り直しとなった。 朝青龍を死に体と見なさず、琴ノ若のかばい手を認めないのであれば、先に手をついた琴ノ若はつき手となり行司差し違えで朝青龍の勝ちではないかと議論を呼んだ。
翌日相撲協会には抗議があったが理事会は全く聞く耳を持たなかった。 相撲協会は以前から取組の判定などで「横綱びいき」の態度を何度も見せていたが、改めてそれが浮き彫りとなった。 協会はこれ以降も横綱びいきを続け、横綱が優勝しやすいような組み合わせをしたりしている。 2007年3月場所現在、一向にその傾向は直っていない。
相撲以外においても、回復が困難な状況・状態や、すでに意義を持たないものなどに対して用いられる(例:死に体内閣)。
[編集] 関連項目
- 相撲用語一覧
- かばい手
- 送り足