江別のれんが
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江別のれんが(えべつのれんが)は、北海道江別市において、明治時代より生産されてきた煉瓦。「野幌れんが」としても知られ、2004年10月22日には第2回選定分の北海道遺産指定を受けている。北海道内の煉瓦の生産地としては最も大きな規模を誇る。所在地は北海道江別市東野幌町3番3号。
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[編集] 歴史
1888年に建設された北海道庁旧本庁舎など、明治時代の北海道では開拓使によって、内陸における開発用の建築資材にれんがの使用が推し進められた。その当時北海道内には8つの地区に17箇所の煉瓦工場が存在しており、これらで主に製造された煉瓦を資材とする煉瓦造りの建造物が、次々と建てられていった。その後、石狩川が近郊にあり、資材の輸送に便利であったこと、煉瓦の原料となる「野幌粘土」を豊富に含んだ土壌の状態であったこと、大きな都市である札幌市にも近く、工業用地や石炭(当時は薪材)の確保が比較的容易であった点が考慮され、1891年に江別で煉瓦製造が開始、1898年には野幌煉瓦工場が北海道炭礦鉄道によって開設される。それから江別市には更に煉瓦工場の進出が相次いでいったため、本格的な煉瓦の生産に着手した江別市は、一躍煉瓦の町として栄えることとなった。
この江別市の煉瓦工場群で生産された煉瓦は、主に鉄道やトンネル・橋などのインフラ、サイロ、学校、民家、駅舎や倉庫建物など、北海道の近代化を助ける一端を担った。著名な煉瓦生産工場の一つには、「旧ヒダ工場」などがある。また、大正時代の初め頃には煉瓦工場において、工場労働者たちによるストライキが起こった記録があり、これは江別市内で起こった最初のストライキであったという。一日に支払われる賃金に対して、一日12時間労働を強いられてことが原因の一つとされており、当時の煉瓦工場における労働条件はあまり好ましいものではなかった。
およそ1945年、当時存在した北海煉瓦の杜員として勤務していた石田惣喜知が、3階建て・107坪の煉瓦造りの邸宅を建設。半円形に突き出た窓やマンサード屋根など、特徴ある建築様式が市民にもよく知られることとなり、近代になって石田惣喜知の名字を取り「旧石田邸」と呼ばれることになった。この建築物は写真の被写体や、絵画の題材にも選ばれるなど、多くの人に親しまれた。1994年4月、この旧石田邸は江別市により場所を移動・修繕が施され、市がガラス工芸の普及できることを願い、新たに「ガラス工芸館」として開設した。野幌代々木町(野幌グリーンモール沿い)にオープンしたこの建物は、ガラス工芸家たちの作品を常に展示できるよう建築が施され、5月から10月まで一般市民に向けて無料開放されている。
[編集] 概要
江別のれんがは、市内ほか周辺地域の土壌に多く含まれる野幌粘土を原材料として使用、北海道庁旧本庁舎の外壁のように、褐色及び赤い色が特徴である。現在も江別市内には、上述した旧石田邸(現ガラス工芸館)や旧ヒダ工場など、400棟を越える煉瓦造りの建造物が江別市「歴史的れんが建造物保存活用事業」の一端として保存されている。また、江別で生産されている煉瓦は、今日における日本の煉瓦の市場占有率において20パーセント以上を占めており、現在も3か所の煉瓦工場が稼働するなど、江別市は日本有数の煉瓦生産の地となっている。
また、江別市で本格的に煉瓦造りが開始されてから100周年を記念して、1990年には第1回目の「えべつやきもの市」が開催された。れんがと共に、西暦300年頃のものとされる「江別式土器」も市内の遺跡から掘り出されていることなどもあって、江別市は陶芸の中心的な地域としても知られている。同市内の建築施設「セラミックアートセンター」には、れんが資料展示室が設置されており、江別並びに北海道における煉瓦の歴史を学ぶことのできる資料が多く含まれているほか、数々の関連イベントも行う「北のやきもの展示室」も設けている。
江別のれんがは2004年10月22日、第2回選定分の北海道遺産に認定され、同年11月12日に認定証が授与された。
[編集] アクセス
- 所在地:北海道江別市東野幌町3番3号
- 最寄駅:JR野幌駅より徒歩でおよそ5分
[編集] 参考文献
- THE JR Hokkaido 3月号、2007年
[編集] 参考・外部リンク
カテゴリ: 江別市 | 北海道の建築物・観光名所