江都公主
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江都公主(こうとこうしゅ、?-紀元前103年?)は、江都王劉建の娘。 名は細君。
鳥孫公主とも呼ばれる。
江都公主の父の劉建は、淫乱で残虐、しかも武帝に対して謀反を起こしたという罪で自害させられた。 その後、娘の江都公主は漢と鳥孫との友好の印として、はるか遠くの鳥孫の地に嫁がされた。 鳥孫王猟驕靡の夫人になった。その後、猟驕靡が老いたため、遊牧民族である鳥孫の習慣に従い、彼の孫の岑陬軍須靡に嫁ぐよう命令された。この習慣には未亡人を保護する目的があったと思われるが、夫の孫の妻に、しかも夫が存命の内からその孫の妻になるという事は、儒教の考えからすれば、受け入れがたい事であり、この事を江都公主は武帝に訴えた。武帝は当時、鳥孫と同盟して匈奴を攻めていたため、鳥孫の習慣に従うようにと彼女に伝えた。その後、江都公主は岑陬軍須靡の妻になった。江都公主はそのまま鳥孫の地で病死した。彼女の侍女が代作したと思われる、望郷の漢詩が有名である。