波の伊八
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波の伊八(なみのいはち、宝暦元年(1751年) - 文政7年(1824年))は、安房国長狭郡下打墨村(現・千葉県鴨川市打墨)生まれの宮彫師、武志伊八郎信由。
江戸時代中期には、建築様式として欄間を飾る彫刻が流行していた。多くの彫刻師が競うなか、「関東に行ったら波を彫るな」と言わしめた人物がいた。初代伊八こと、武志伊八郎信由である。
伊八は、下打墨村で代々名主を務めた武志家の5代目として生まれたといわれている。10才の時から彫刻を始め、躍動感と立体感溢れる横波を初めて彫り以来作風を確立し、同世代に活躍した葛飾北斎の「富嶽三六景」の代表作の1つ、「神奈川沖浪裏」などの画風に強く影響を与えたといわれ、文政7年に没するまで意欲的に作品を造り続けた。
その作風は、五代目伊八(高石伊八朗信月:明治23年-昭和29年)まで200年に亘って続き、房総南部を中心に神社や寺院の欄間彫刻などに秀れた作品を残した。