浜松連続殺人事件
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浜松連続殺人事件(はままつれんぞくさつじんじけん)とは、第二次世界大戦下の日本で発生した大量殺人事件である。耳が不自由な少年による犯行であり心神喪失者の可能性もあったが、戦時体制下であり、充分な審理が行われないうちに処刑された。(文中では聾唖の語を用いているが一般には使用を控えるべきである言葉である)
[編集] 事件の概要
静岡県浜松地方において、1941年(昭和16年)8月から翌年にかけて短刀で9人を殺害し、6人に傷害を負わせる事件が発生した。当時の日本は戦時体制であり平時のような犯罪報道が制限されていたため、一般に知名度は高くはないが、この事が次の犯行を抑止できなかったともいえる。
犯行は夜に家屋に侵入し芸妓や飲食店の主人を刺殺し、強姦目的も含まれていたが、自宅にも強盗を装って実兄を殺害し、兄の妻と子供、父親と姉に重傷を負わせる事件も起こしていた。その後も犯行を繰り返していたが、翌年10月に逮捕された。
[編集] 犯人暦
犯人は聾唖者(耳が不自由な)の青年(当時18歳)であった。彼は兄弟7人の6男で、生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。簡単な言葉しか発音できなかったが、知能は高く聾唖学校の成績もよかったが、他人に対する思いやりなど基本的な人間性が欠如していた。そのため剣劇映画に陶酔したため、凶行を繰り返していた。
逮捕直後に実父は自殺したが、犯人は聾唖者として冷たく扱われたと恨んでいた。彼を精神鑑定した内村祐之と吉益脩夫によれば、精神病質性の人格、不完全な教育によって精神性が育っていないなどを指摘、本人の性格と教育によって生じた心身喪失者とする鑑定書を出した。
心神喪失に加え、本人は、刑法40条の聾唖者による犯行の減刑規定(平成7年改正で削除)があるため、死刑にはならないと思っていたようであるが、前述の鑑定書に関わりなく実際にはそうならなかった。
彼は、戦時刑事特別法によって二審だけの審理ですみやかに死刑判決が確定した。この措置は戦時下に行われた犯罪について厳罰にするためのものであり、公判では多くの地域住民が詰めかけ、極刑を望んだためであった。そのため裁判所は被告人を「聾唖者」ではなく「難聴者」と認定し、まもなく死刑が執行された。
[編集] 参考文献
- 「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大辞典」、東京法経学院出版、2002年、670~671頁、