浮島丸事件
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浮島丸事件(うきじままるじけん)は、1945年8月24日、海軍特設運送船・浮島丸(4730トン)が、舞鶴市の舞鶴湾内(下佐波賀沖)で爆発沈没した事件。
当時、浮島丸にはで青森県大湊海軍施設部で働いていた朝鮮人とその家族3,700人以上が帰国のため乗船しており、爆発で500人以上が死亡したとされる。爆発の直接的な原因は不明である。ちなみに当時の舞鶴港は日本海側屈指の軍港であったため、アメリカ軍の機雷が数多く敷設されていたとされ、それに誤って接触してしまったとする機雷接触説、また一部の被害者遺族からは、起爆装置や火薬搭載の目撃証言に基づく、日本政府による爆破自沈説が唱えられている。
また、この事件については国の安全管理義務違反を問う国家賠償訴訟も起こされたが、2001年、京都地方裁判所が原告の一部について国の責任を認めたのに対し、2003年5月、大阪高等裁判所は国に責任なしとする原告逆転敗訴の判決を言い渡した。
1995年、「平安建都1200年映画を作る会が」、この事件を題材にした映画「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」を製作・公開した。この映画は、2000年8月、韓国でも初上映され、約3万人が見たとされるほか、2005年3月には、中国でも上映された。
なお、1978年には、当地に近い下佐波賀地区に「浮島丸殉難の碑」が建立されている。
[編集] 外部リンク
- 浮島丸事件
- 「浮島丸事件不当判決糾弾!」(「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動」)