渋山家
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渋山家(しぶやまけ)は日本の医家。現在の鳥取県境港市を拠点とした。
目次 |
[編集] 歴史
- 竹内村足立家の分家である。
- 初代長寿 医家としての初代であるがその経歴は詳しくわかってない。
- 二代目長寿 京に出て産科を学び中条流の産科を専門とした。
- 三代目長寿 明和、安永年間(1764年-1780年)京に出て賀川満卿について産科を学び更に吉益東洞について医術を学ぶ。
- 四代目長寿 華岡青洲に学ぶ。藩禄3人扶持を与えられた。
- 五代目玄寿 花柳病科に長じており主にあたる人の梅毒の治療にあたった。一代限り苗字帯刀御免となった。
- 六代目寿 若くして長崎に遊学し西洋外科を学んだ。書家井田盤山について学び盤石と号した。佐斐神村の岡文仲の子定太郎を家継養子とした。定太郎は現在の東大医学部に学んだが卒業を目前にして赤痢で死去した。
- 七代目一二 医師にならず松江中学中退後画道に専念した。
- 八代目春樹 鳥取師範卒業後教育者となった。和歌、詩文に長じた。
[編集] 系譜
- 渋山氏
長寿━━長寿━━長寿━┳長寿━━礼順 ┗玄寿━┳寿━━┳一二━━春樹 ┗キク ┣まつ代 ┃ └定太郎 木島恒太郎
[編集] 参考文献
- 森納 『因伯の医師たち』 105-107貢
[編集] 関連項目