渡鹿野島
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渡鹿野島(わたかのじま)は、三重県志摩市(旧志摩郡磯部町域)にある島で、伊勢志摩国立公園に属している。島の至る所に売春の斡旋所があるところから、別名売春島と呼ばれている。事実、夏の観光客以外は、売春以外の目的で島を訪れるものは皆無という。
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[編集] 地理
周囲約7km、面積は約0.7平方キロメートルを持ちリアス式海岸の湾のひとつ的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面となっている。そのため古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた。
[編集] 歴史
古くは伊雑宮の神領であったとも言われ、江戸時代には、関東と関西を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えたこともあり避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊里街としても大いに栄え女護ヶ島といった別名を持つ事となった。史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。
また、第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の設置が計画された事などから、激しい空襲にもみまわれた。
1954年には渡鹿野島を舞台に、伴淳三郎主演の「この恋!五千万円」という映画もつくられた。
[編集] 主な産業
平成12年の国勢調査に見られるように、島の人口の92%が島内及び島外の第三次産業に従事しており、観光サービス業が主な産業となっている。かつて、遊里街が華やかだった事から、今日でも夜間には客引きが立つなど色街としての側面も強く残っている。近年、渡鹿野園地やパールビーチなどが整備され、家族連れでも安心して観光できる島とすべく取り組みをはじめている。
[編集] 祭事
毎年7月下旬の土日(旧来は7月23日~24日に行われていたが、近年は土日に祭りを開催できるよう日程を調整している)には全島民上げての大きな祭り、天王祭が行われている。天王祭は全国各地で行われており、はじまりは牛頭天王に疫病退散を願う祭りであったとされている。明治期に牛頭天王が素戔鳴尊(スサノオノミコト)へと同化されて神社の祭祀となったもので、渡鹿野島の天王祭では島の八重垣神社から御輿にご神体を移す際、島内の灯りをすべて消し、暗がりの中を御輿が島内を走り回り家々の悪魔払いを行う。その後、海岸近くに仮設した鎮座櫓に御輿を納めようとする側と、疾走する御輿側との間でぶつかり合う御輿練りの神事が行われ、これが渡鹿野島天王祭の一番の見所となっている。
[編集] 交通
2006年8月現在、渡鹿野島へ向かう定期船は、民間船が1ヶ所、無料の県道船が2ヶ所から出ている。
[編集] 民間定期船
国府地区渡鹿野島対岸(旧阿児町国府地区)2006年6月1日現在は15分に1本程度運行されており、運賃は片道150円~500円(時間帯により異なる)。乗船時間は2分程度。
[編集] 県道船
的矢湾西部を周回する定期船が三重県により運営されており「県道船」と呼ばれる。小中学校への通学の補助が目的であるため8:25-16:30に1日6便であるが、待機時間に船着場で待っている客が目視できる場合には随時運行される。
- 的矢船着場 的矢湾北岸の志摩市磯部町的矢にある。三重交通の的矢バス停留所がある有料駐車場から東へ約700mの場所に船着場がある。渡鹿野島和田まで約15分、三ヶ所まで約5分。
- 三ヶ所船着場 南岸の志摩市磯部町三ヶ所の漁協前にある。漁協に有料駐車場がある。渡鹿野島和田まで約10分、的矢まで約5分。
[編集] 不定期船
- ホテルの送迎船 予約客の送迎のための船を所有するホテルがある。
- 民間の渡船 他の船に比べ運賃が高額であるが、タクシーのように運行されるため自由度は高い。
[編集] 個人所有の船
渡鹿野島の多くの家庭では漁船などの船を所有しており、家族や親戚などの送迎を行なう場合がある。