源明国
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源明国(みなもと の あきくに、生没年不詳)は、平安時代後期の武将。初名、行光。源頼綱の長男で弟に仲政、国直、子に行国、経光、猶子に有頼(多田四郎)、盛隆らがある。父、頼綱より多田荘を継承し「多田」を号した為、多田明国(ただ の あきくに)とも記される。
摂津源氏の嫡流として父、頼国より多田荘を譲り受けた源頼綱の長男であり、頼綱より多田荘を引き継ぎ父祖に続いて摂関家に仕えた。白河院蔵人、堀河天皇の六位蔵人を務めた後、左衛門尉、検非違使を経て、永長元年(1096年)に従五位下に叙され、天永二年(1111年)に下野守に就任するが、同年、主君藤原忠実の命令で美濃の荘園に下向した際に闘乱となり、結果、信濃守広房、源為義の郎党など3人を殺害するに至った事が原因で佐渡へ流罪となった。
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