狩野探幽
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狩野 探幽(かのう たんゆう、 慶長7年1月14日(1602年3月7日) - 延宝2年10月7日(1674年11月4日))は、江戸時代の絵師。京都生まれ。 狩野永徳の孫にあたる。
探幽は江戸時代の狩野派を代表する絵師。名は守信。早熟の天才肌の画家で、11歳のとき、駿府で徳川家康に謁見。15歳にして将軍の御用絵師となる。探幽は江戸城、二条城、名古屋城などの公儀の絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力寺院の障壁画も制作している。山水、人物、花鳥など作域は幅広い。また、自らが目にした古今の名画を縮図として模写しており、それらは「探幽縮図」と呼ばれて、現在まで膨大な量が残っている。「探幽縮図」は、歴史資料、絵画資料としてもまことに貴重なものとなっている。以上のように名実ともに江戸時代を代表する画家であった探幽は、近代に入って不当に低い評価を与えられていたが、近年、その真価が再評価されている。
[編集] 代表作
- 二条城障壁画(重要文化財)