独立軍 (朝鮮)
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独立軍(どくりつぐん)は1919年の三・一独立運動後、朝鮮の日本植民地支配からの独立をめざし満州東部の間島地域で成立した抗日武装集団諸派の総称である。
李氏朝鮮の時代から朝鮮農民が越境移住し、1920年頃には50万人程度が集住していた満州の間島地域は深い森林が多く、朝鮮総督府の直接支配が及ばなかったので、ゲリラ活動の根拠地として打ってつけであった。1919年3月に勃発した朝鮮国内の独立運動に刺激され、1905年から1910年にかけて高潮した抗日義兵闘争の生き残りや農民、労働者によって間島地域では多数の抗日武装組織が結成された。
主なものは北間島(豆満江流域)の軍政府(後、西路軍政署と改称)、大韓国民会軍、北路軍政署、大韓独立軍、大韓義勇軍、光復軍総署などである。これら抗日武装組織はしばしば越境して朝鮮北部の穏城、茂山、恵山などの町々を襲撃した。
一方、1920年10月に中国人馬賊が琿春の日本領事館を襲撃する琿春事件が起った、これに伴って日本は間島一帯に数万の大部隊を送り込み、大規模な間島の抗日武装組織の鎮圧作戦を行った。日本軍の攻勢により各武装集団は大打撃を受け中露国境の密山府に逃走して残党は自称「大韓独立軍団」に統合、沿海州のウラジオストックに向かった。しかし、「大韓独立軍団」は1921年6月、ソ連国内の赤軍と白軍の内戦に巻き込まれ、赤軍によって武装解除されてしまった。これによって間島地域における抗日武装闘争は低調となったが、1930年代に満州事変が勃発すると中国共産党配下の東北抗日聯軍として再び抗日闘争が盛り上がることになる。