生野県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生野県(いくのけん)は、1869年(明治2年)に設置された県。1871年(明治4年)、府県統合により消滅した。
1868年(慶応4年)、丹後、丹波、但馬、播磨、美作5ヶ国の久美浜代官所、生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領は久美浜県となっていたが、生野代官所支配地を中心に分離運動が高まり、但馬(一部除く)、播磨、美作3カ国の地域が生野県として分離され、成立した。この時、播磨国内の旗本領、藩の飛び地の一部が編入された。
廃藩置県では旧幕府領、旧藩がそのまま府県となっていたため飛び地が多く、この問題を解消するために1871年(明治4年)終盤に府県統合が行われた。但馬国一円は豊岡県、播磨国一円は姫路県、美作国一円が北条県として統合されることになり、生野県は消滅した。
[編集] 沿革
- 1868年(慶応4年)閏4月28日、久美浜・生野両代官所支配地などを統合し、久美浜県(23万石)が発足
- 1869年(明治2年)8月10日、久美浜県のうち但馬(一部除く)、播磨、美作3カ国が分離し、生野県が設置
- 1871年(明治4年)11月2日、豊岡県および姫路県が設置
- 1871年(明治4年)11月15日、北条県が発足。生野県廃止