白鳥長久
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白鳥 長久(しらとり ながひさ、? - 天正12年(1584年))は、戦国時代出羽の武将。白鳥城主(後に谷地に居城を移転)。通称:白鳥十郎。
現村山市最上川左岸を拠点とした国人領主。文武兼ね備えた名将といわれる。勢力を伸ばし、現河北町を支配下に加え、谷地城を築く。家督相続を巡って争っていた羽州探題最上義守、義光父子を調停したり、天正5年(1577年)、織田信長に使を出し名馬白雲雀を献上するなど、国内外でも高い評価を得る。信長と誼を結ぶことで領国の安定化を図ったが、この行動は、出羽統一を目指す最上氏の当主である最上義光の警戒を呼ぶこととなった。
天正12年(1584年)、義光の招きにより山形城に赴いた際に謀殺された。長久を失った白鳥氏は混乱し、義光によって攻め滅ぼされた。長久の血を浴びたといわれる「血染めの桜」が昭和初期まで山形城内に残っていた。