真里谷信清
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真里谷 信清(まりやつ のぶきよ、文明10年(1478年) - 天文3年(1534年))は、真里谷氏(武田氏)の一族。真里谷信興の子で真里谷信保の叔父に当たる。子に真里谷直信がいる。
根古屋城・小田喜城を築城し、その城主となった。真里谷氏の最長老として信保を補佐したが、やがて信保が足利義明との対立に敗れて失脚すると、足利義明に仕えて房総管領に任じられた。
嫡男・直信は父に先立って没したらしく、その家督は直信の子である嫡孫・真里谷朝信が相続した(ただし朝信を信清の実子とする説もある)。
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