石本美由起
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石本 美由起(いしもと みゆき、1923年2月3日 - )は、広島県大竹市出身の昭和、平成の作詞家。
[編集] 来歴・人物
幼児からぜんそくを患い、家に閉じこもるような生活を送る。生家は宮島や江田島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所に建ち幾分救われる。そばにある文学は全て読んだが、なかでも北原白秋に夢中になり、白秋の詩『思い出』の中の一篇「ザボンのかげ」からインスピィレーションを得て「長崎のザボン売り」という詩を書き歌謡同人誌に投稿する。
これが作曲家江口夜詩の目にとまり、小畑実の歌でレコード発売され大ヒット、作詞家としてのスタートを切る。1945年コロンビアレコードに移ったことで、作曲家、古賀政男・船村徹・市川昭介らとコンビを組み、美空ひばり・都はるみ・島倉千代子らの楽曲を手がける。特に美空ひばりには「赤い椿の港町」、「ひばりのマドロスさん」、「港町十三番地」、「哀愁波止場」、「悲しい酒」、「人生一路」などでひばり伝説の一翼を担った。
総作詞作品は3500曲以上にも及び、作詞界の大御所的存在で、他の代表曲には、故郷の窓から遠い空を想い続けた少年の日を思い出して書いたという「憧れのハワイ航路」や、「おんなの海峡」、「いなかっぺ大将」、「長良川艶歌」(日本レコード大賞)、「矢切の渡し」(日本レコード大賞)などがある。また星野哲郎ら優れた才能を世に出した。
要職では日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長、日本作詞家協会会長、日本音楽作家団体協議会副会長などを歴任し、広く後進の指導にもあたった。 玖波小学校の校歌も手がけている。