石重貴
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石重貴(せきじゅうき、914年 - 946年)は、五代十国時代後晋の第二代皇帝。在位期間は942年 - 946年、諡号は出帝(『旧五代史』では少帝)。
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[編集] 出生
石敬瑭の甥として太原に生まれた。936年に石敬瑭に従って洛陽に入り北都留守に、後に斉王に任じられた。
[編集] 即位
942年に石敬瑭が崩御したことにより即位、開運と改元した。在位中は蝗害が各地で発生し、逃戸飢民が大量に発生した。 また景廷広の建議により契丹への臣下としての礼を廃し、契丹に対し対決姿勢を明確にした。これに対し後晋に進行した契丹軍を二度にわたり防いだが、946年の3度目の侵攻で開封は陥落、石重貴は北方に連れ去られ、後に建州で没している。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 皇后馮氏
[編集] 子
- 石延煦
- 石延宝
[編集] 年号
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