砂糖法
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砂糖法(さとうほう、英:Sugar Act)は1764年に英国首相ジョージ・グレンヴィルの主導により英国議会で制定された関税に関する法律である。砂糖法の制定以前には砂糖・糖蜜法があり、これは植民地から輸入される砂糖・糖蜜に1ガロン当たり6ペンスを課して、英国内の砂糖を保護するものであった。砂糖法では関税率を1ガロン当たり3ペンスに減額したが、一方で課税対象をワイン、コーヒー、衣類などに広げ、さらに砂糖・糖蜜法の時には抜け穴が多かったものを厳密に取り立てられるように図ったものである。一方で密貿易者とそれを取り締まる職員には甘いものとなっていた。英国はフレンチ・インディアン戦争(1754年 – 1763年)で負った莫大な負債を返済するための資金集めという意図が強かった。
[編集] 植民地での動き
この法律が植民地経済に与える影響が著しいものであったので、植民地で最初に立ち上がったのはアシュレイ・アダムスであった。彼は代表権の無い議会で制定された法律が今後も植民地の経営を脅かすものと訴えて、植民地人の支持を得ることに成功し、砂糖法を廃止に追い込んだ。この動きが続く印紙法(1765年)に対する抵抗運動に、さらにアメリカ独立戦争につながっていくことになる。