ジョージ・グレンヴィル
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ジョージ・グレンヴィル(George Grenville,1712年10月14日 - 1770年11月13日)は、イギリスのホイッグ政治家、首相(在任:1763年4月16日 - 1765年7月13日)。在職中に爵位を受けなかった首相はウォルポール以来である。グレンヴィル政権の期間中に起きた主な事件は印紙法反対運動およびウィルクス事件である。
グレンヴィルは下院議員の家の次男として生まれ、イートン・カレッジからオックスフォード大学クライスト・チャーチ校に進み、法学院を卒業して1741年にバッキンガム市から下院に初当選をはたした。議院内では反ウォルポール派につき、ニューカッスル公や義兄の大ピットらと親交をもち、海軍主計長官(1757年)、下院議長(1761年)、北部担当国務大臣(1762年)、海軍大臣(1763年)と出世の階梯をのぼっていった。
1763年に首相に就任したが、王に対するビュート伯の影響力は依然強く、強いリーダーシップを発揮できなかった。就任直後におこったウィルクス事件に強い態度で臨んだことが、結果として王室と政府の威信を傷つけることになった。グレンヴィル政権はまた、七年戦争終結後の財政立て直しを目的に印紙法などを定め、13植民地への課税に踏み切った。これはグレンヴィルが推し進めたものでは必ずしもなく、むしろ下院内のコンセンサスに基づくものであり、植民地における印紙税への激しい反発は当時予想されていなかった。しかしこれを機に本国と植民地の隔たりは大きくなってゆき、やがてアメリカ独立戦争へとつながることになった。こうして内憂外患にくわえて王との関係も改善せず、1765年7月に王はグレンヴィルの職を解いた。
グレンヴィルは1749年にウィリアム・ウィンダムの娘エリザベスと結婚した。末子ウィリアム・ウィンダムはのちに首相となる。
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