神奈川県立松陽高等学校
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神奈川県立松陽高等学校(かながわけんりつしょうようこうとうがっこう)は、全日制普通科の高等学校。所在地は神奈川県横浜市泉区和泉町。CR5階建て。伝統的にノリが良いため「お祭り松陽」と呼ばれる。近年では交通安全教育に力を注いでいる。
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[編集] 沿革
[編集] 概要
- 男女の制服をスーツタイプ(当時の呼称ではブレザータイプ)としたのは当時の公立校としては珍しく一見して松陽高校生とわかるものであった。
- 初代校長鮫島一郎氏は、その後希望ヶ丘、湘南の校長を歴任したのち神奈川県教育委員長に就任したほどの人物である。また開設当初からの教員の多くは校長などの管理職になったが、その中でも清水進一氏はその後神奈川県教育庁の高校教育課長・教育部長を務め、神奈川県立総合教育センター所長を最後に定年退官している。鮫島氏の業績は県庁、議会、職員団体など、各団体からの信頼も厚く実績は高く評価されている。
- 神奈川県が「15の春を泣かせない」というキャッチフレーズのもとに推し進めた県立高校100校新設の政策は1973年からで、松陽高等学校はいわゆる100校計画の学校ではなく既設校の扱いとなっている。そのため新設校によく見られる中庭の野外ステージやオブジェの類は無く、プールが設置されており、学校全体のたたずまいを落ち着きのあるものにしている。計画当初は北西部に食い込んだ形で残る民有地(現コンビニエンスストア周辺)にも買収計画があり、これが実現していたら中規模校ではなく、36クラス規模の大規模高校となっていた可能性が高い。日本では通常、5階以上の建築物にはエレベーターが設置されるが神奈川県立高校では開校当時には一般的でなく、将来の追加改築に対応できる設計を施されている。アクセントとして屋上の縁に神社の千木に似た装飾がなされている。
- 創立当初の住所は横浜市戸塚区和泉町、現在は行政区の分割により泉区和泉町に変わっている。
- 校歌は同校国語教諭松下滋作詞、音楽教諭今井翼作曲であり、1974年に制定された。
[編集] 校風
- 旧制中学のような文武両道、自由闊達の気風は開設当初からの伝統であるがそれは前出の初代校長鮫島一郎氏をはじめ多くの教員と、それに応えた開設当初時からの生徒によるものが大きいといえる。特に1期生から3期生までの時期は教員生徒共に新設校を盛り上げていこうとする機運が高く、勉強・部活だけでなくあらゆる行事に積極的でそれが今日の「お祭り大好き学校」の基礎となった。
- 開校当初より進学熱は高かったが、創立以来の「お祭り」校風からか浪人して伸びる生徒が非常に多かった。また進学校にありがちな気風から浪人することは厭うことではなく、進学のための必要なステップと考えている生徒が特に男子には多く、実際多くの男子は浪人後有名校にスッと入る生徒が多かった。しかしまじめにこつこつ勉強するタイプが多かった女子は割とあっさりと進学を決めるものが多く、女子の中から第3期生には現役東京大学合格者を出したりした。
- 早慶をはじめとする私立の難関校にも多く進学者を出している。神奈川県立高校をはじめとする高等学校教職員にも多くの卒業生を輩出している。学力が高い高校としては就職者が多いのも特徴で、コンスタントに金融機関などに就職者を送り出した。
[編集] エピソード
- 特にいずみ野線開通前はバスの便も全くないといっていいほどの「陸の孤島」に立地していたにもかかわらず、受験生の人気を保ったのは特筆すべき点である。それは設立まもないにもかかわらず、どこよりも旧制中学のような気風を持ち、勉強も運動も遊びもすべてにわたって極めるといった校風が中学に伝わり羨望を集めたからである。また新設まもない頃はヒッチハイクで登下校する姿が普通に見られたものである。このあたりを走行する運転手さんも心得たものでよく生徒を乗せたりしていた。田舎だったのでのんびりした光景がよく見られたものである。
- 1980年代にバスケットボール部が活躍し、漫画『スラムダンク』に登場するチームのモデルになっている。当時は、男女チームが同時に県大会優勝を果たすなど、かなりの強豪チームであった。日体大出身の阿部哲也教諭率いるバスケット部は当時松陽高校の顔的存在であった。 高校駅伝に参加した陸上部、フェンシング部、音楽の甲子園ホットウェーブ創立スタッフに人材を輩出した軽音部、県内無敵の一時代を築いて商業系の諸校の天敵と言われた英文タイプ部、ファイティングパンダのチーム名をもつアメフト部、卓球部、県大会決勝戦進出の軟式野球部、ベスト16進出の硬式野球部、横浜市内源流域調査に参加した生物部、松の緑と陽のオレンジをユニフォームとするラグビー部、サッカー部、ソフトボール部、インターハイ出場の山岳部など、歴代の部活動が活躍している。大規模校で無いにもかかわらず、部活の数が多い伝統により各部に人材が拡散してきたきらいがある。しかし、教育の場としての部活動として本道を実践してきたと言える。
- 定時制課程を併設しない学校としては例外的に学生食堂の設置を認められている(このほか定時制を持たない神奈川県立高校では生田高校と川和高校に学生食堂がある)。学生の厚生に貢献し、愛されている。
- 交通安全教育を強く推進している。運転免許所持者の完全掌握を実施し、学校敷地内に講師を招いての「ヤングライダースクール」を開催している。
- 近隣を東海道新幹線が通過することで、乗車中の同校の修学旅行生に向かい、校舎屋上から電車に向かい旗を振るという慣習があった。しかしこの恒例行事は過去一度通過する新幹線を間違え、実際に修学旅行生の乗った新幹線が通過したときは旗振りを終えてしまっていて、それを悔やんだ担当の生徒がニッポン放送の日曜夜10時の番組「滝良子の全日空ミュージックスカイホリディー」に投稿。滝さんも「いい習慣ですね」とコメントし、全国的にこの習慣はあたたかく紹介された。
- 同名の松陽高校は兵庫県と鹿児島県にも存在する。さらに「松陽」を含むものが茨城県、栃木県、岐阜県にそれぞれ存在している。