穆宗 (遼)
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姓名 | 耶律述律 |
諱 | 璟(後に明と改名) |
廟号 | 穆宗 |
字 | ― |
諡号 | 天順皇帝 |
年号 | |
生没年 | 931年-969年 |
在位 | 951年-969年 |
父 | 太宗(長男) |
母 | 靖安蕭皇后 |
穆宗(ぼくそう、931年(天顕5年) - 969年(応暦19年)、在位は951年-969年)は、遼の第四代皇帝で、第二代皇帝であった太宗の長男。契丹名は述律、中国姓名は劉璟。
951年、第三代皇帝であった従兄の世宗が暗殺されると、彼は直ちにその一族を滅ぼした上で即位した。だが、穆宗は奢侈に走り、重臣も権力争いからそれぞれの派閥に分裂し、遼は次第に衰退の兆しを見せ始めた。このため964年、満州北部で遼に対する大規模な反乱が起こったが、穆宗は966年にこれを鎮圧している。
だが969年、側近の手によって暗殺されてしまった。齢39。
性格は非常に残忍な人物で、拷問ばかり行なっていた。
[編集] 宗室
[編集] 子
不詳
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カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 中国史の人物 | 931年生 | 969年没