ノート:穴山信君
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[編集] 直轄の金山
笹本正治氏などは直轄であったと考えているようですが、白水智氏は直轄であったとする見解に疑問を呈しています。(白水智 「山地の資源とその掌握」『定本・武田信玄―21世紀の戦国大名論』笹本正治、高志書院、2002年。)“甲斐の金山は武田(本)家のもの”という通説を覆す意味では両者とも同じ立場ですが、穴山氏の直轄であったかどうかは決着が付いていないように思います。220.145.43.151 2006年7月30日 (日) 10:17 (UTC)
- 御返事遅くなり申し訳ありません。ノートに書き込みがあるのに先程気付きました。「直轄」という言葉は、武田宗家の管理から独立したという広義の意味で使用しました。武田宗家自体が金山の直接経営を行っていなかったことから、穴山氏もそれに近い形態だった可能性は大きいと思います。Nubolari 2006年9月11日 (月) 04:42 (UTC)