第101空挺師団 (アメリカ軍)
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第101空挺師団(だい101くうていしだん 英語:101st Airborne Division)は、アメリカ陸軍の空挺師団である。ニックネームはスクリーミングイーグル。「叫ぶ鷹」の意味で、以前は南北戦争で戦った北軍の第8ウィスコンシン歩兵連隊が部隊のニックネームとして使用していた。第一次大戦後に予備役歩兵師団として編成され、第二次大戦中にパラシュート部隊として改変、ベトナム戦以降は空中強襲部隊としてヘリボーン作戦に従事している。
初陣は第二次大戦のノルマンディー上陸作戦で、マーケット・ガーデン作戦、バルジの戦い、ルール降下作戦など対独戦後半における主要な降下作戦・防衛作戦に投入されている。米軍歩兵師団が州単位で編成されるのが基本であるのに対し、予備役師団として編成された経緯から「オールアメリカン(全州兵)」として知られ、その誕生の経緯とはことなり第82空挺師団とともに米陸軍精鋭部隊として知られる。
第101空挺師団は日本が降伏したことを受けて1945年の11月30日に一度解隊されている。小説「バンド・オブ・ブラザーズ」によればその時点で除隊していなかった兵士は第82空挺師団に移籍されたらしい(ライバルである第82空挺師団に部下の兵士が合流するのを見た連隊指揮官が泣いた、と言う話が紹介されている)。その後1948年と1950年に訓練師団として再編される。1954年にまた再建され、1956年には普通の(訓練用ではない)師団として再編されそれ以降はケンタッキー州のフォート・キャンベルを駐屯地とする(それ以前は同州のブレッキンリッジ基地を駐屯地としていたようである)。
1957年に部隊の一部がアイゼンハワー大統領の命令で以前は白人のみ通えたリトルロック・セントラル高校に通うようになった黒人生徒達の護衛に付いた。1960年代からはベトナム戦争にかかわるようになり、最初は第1旅団のみ派遣されたが1967年には残りの部隊も派遣される。1968年にヘリボーン部隊に改変され、今に至る。
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