美具久留御魂神社
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美具久留御魂神社 | |
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所在地 | 大阪府富田林市宮町3丁目2053 |
主祭神 | 大国主命 |
社格等 | 式内社(小)・郷社 |
創建 | 崇神天皇10年 |
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。
大国主命を主祭神とし、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)を配祀する。主祭神以外は全て水に関係のある神であり、左右殿に同じ神を祀る建水分神社を上水分社と呼ぶのに対し、当社は下水分社(しものすいぶんのやしろ)とも称された。
[編集] 歴史
社伝によれば、崇神天皇10年、この地にしばしば大蛇が出没したので、天皇自ら視察して「これは大国主命の荒御魂によるものである」として大国主命を祀らせたのに始まるという。崇神天皇62年、丹波国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして「玉萎鎮石(たまものしずし)。出雲人祭(いずもひとのいのりまつる)真種之甘美鏡(またねのうましかがみ)。押羽振甘美御神(おしはふるうましみかみ)底宝御宝主(そこたからみたからぬし)。山河之水泳御魂(やまがわのみくくるみたま)静挂甘美御神(しずかかるうましみかみ)。底宝御宝主也(そこたからみたからぬしなり)」と宣託した。天皇は直ちに皇大子の活目入彦命(後の垂仁天皇)を当社に遣わして祀り、「美具久留御魂(みくくるみたま)」の名を贈り、相殿に四神を配祀したという。
朝廷から厚く崇敬を受け、嘉祥3年(850年)には従五位上の神階が授けられた。延喜式神名帳には「河内国石川郡 美具久留御魂神社」として記載され、河内国二宮、石川郡総社とも称された。
楠木正成は、建水分神社(上水分社)とともに当社(下水分社)を楠木氏の氏神として崇敬し、社領の寄進や社殿造営を行った。天正13年(1585年)、豊臣秀吉の根来寺攻めの兵火により社殿を焼失し、万治3年(1660年)に社殿を再建した。
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