胡三省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
胡三省(こさんせい、紹定3年(1230年)-至元24年(1287年))は、南宋末期の政治家・歴史家。浙江省天台の人。元の名は満孫、字は身之、号は梅澗。『論語』の「吾日三省吾身」の一句より三省と改名し、字を景参とした。
宝祐年間(1253年-58年)頃の進士。賈似道政権下で朝奉郎などを務めたが、南宋が元に滅ぼされると隠居して官に就く事はなかった。
司馬光が著した歴史書『資治通鑑』の研究に尽くして、『資治通鑑音注』という注釈書を著した。同書の注釈の精度の高さから、その注釈のみで歴史書に値するとまで言われている。
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 人物関連のスタブ項目 | 歴史家 | 1230年生 | 1287年没