自由都市
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自由都市(じゆうとし、Freistadt、Freie Stadt)とは、中世ドイツにおいて形成された都市の一形態。のちに自立性を強めた帝国都市と同義になっていき、帝国自由都市とも称された。
[編集] 歴史
本来、自由都市とは、司教都市の中で、(大)司教の統制から脱して皇帝直属の地位を得た都市が、他の帝国都市(貢納や軍役の義務を負う)と異なって貢納や軍役などから自由であったことを意味していた。この点で、自由都市と帝国都市は別個の概念であった。しかし、帝国都市の勃興と皇帝権の低下にともない、帝国都市に課されていた義務も形骸化し、自由都市と帝国都市の差異が消失していった。このため、自立性の強い都市を総じて帝国自由都市と称するようになった。帝国自由都市は領邦と同等の地位にあり、帝国議会へ代表を派遣することができた。
16世紀半ばより、アウクスブルクの宗教和議などにみられるように、神聖ローマ帝国内での領邦君主の地位が強化され、領邦ごとの集権化が推進された。こうした中、各地域の領邦君主からの圧力で、多くの帝国自由都市は権利を剥奪され、その自由を失っていった。
ナポレオンの征服下で、ハンブルク、ブレーメン、リューベック、フランクフルト・アム・マインの4つの都市のみが自由都市としての地位を保った。このうち、ハンブルクとブレーメンは、現在のドイツ連邦共和国でも独立した州として扱われており、その歴史的経緯をうかがうことができる。
[編集] 日本の自由都市
ヨーロッパの自由都市に似たものは日本にも存在した。 堺市がその典型的な例である。貿易と銃器の生産で潤った堺では、会合衆による自治が行われ、防衛のための武装組織もあった。
[編集] 関連項目
- 都市の空気は自由にする
- ローランの歌(ローラン像のモデルとなる中世叙事詩)