草薙剣盗難事件
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草薙剣盗難事件(くさなぎのつるぎとうなんじけん)は、668年(天智天皇7年)に発生した盗難事件。熱田神宮の神体である草薙剣が盗まれた事件である。
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[編集] 概要
『日本書紀』天智天皇紀には668年(天智天皇7年)のこととして、「是歳。沙門道行盗草薙剣、逃向新羅。而中路風雨。荒迷而帰。」(この年、僧道行が草薙剣を盗んだ。新羅に向かって逃げたが、その路の途中で風雨が荒れ、迷って帰ってきた。)と記載されている。
熱田神宮の社伝では、新羅の僧・道行が、熱田神宮を参詣した折、清雪門より内部に侵入し、草薙剣を盗み出したとなっている。(この事件以来、清雪門は「不開門(あかずのもん)」と呼ばれ、閉ざされたままとなっている。)道行は草薙剣を持って祖国の新羅に渡ろうとしたが、嵐により果たせず失敗に終わったとする点は『日本書紀』と同じである。
社伝によると道行はその後捕らわれの身となり、草薙剣は宮中で預かることになった。686年(朱鳥元年)になって、草薙剣は熱田神宮に返還された。
なお、大阪市の放出(はなてん)という地名は、道行が神罰(嵐)を怖れ、草薙剣を放り出したことが由来とする説がある。
[編集] 道行の経歴
道行は新羅王族の末裔といわれている。霊験あらたかな草薙剣を盗んで新羅の物にすれば、その神通力で新羅が強国になることができるというのが動機であった。
逮捕後、道行は博多で斬首されたとも、赦免されて愛知県知多市の法海寺を開いたともいわれている。
[編集] 参考文献
- 熱田神宮所蔵『宝剣御事 1巻』(備前阿闍利心範の書写)