萩原美雅
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萩原 美雅(はぎわら よしまさ、生没年不詳)は、江戸時代中期の幕臣。はじめ源左衛門、のち伯耆守と称する。
萩原はもと勘定奉行所属の下級御家人であったが、6代将軍徳川家宣らによる正徳の治が始まると、改革を実際に差配した新井白石により登用され、勘定組頭をへて、新設の勘定吟味役に就任した。その後、新井白石が失脚して、徳川吉宗が8代将軍となると、西丸納戸役に一時左遷されたが、程なくして吟味役に復職し、その後佐渡奉行、長崎奉行、勘定奉行を歴任した。
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