蒋幹
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[編集] 略伝・人物
[編集] 概要
フィクションである『通俗三国志演義』の「赤壁の戦い」において孫権軍の周瑜の計略の操り人形にされてしまうことで、三国志ファンには著名な人物であるが、「史実」ではわずかな記録しか残っていない。
[編集] 生涯
『三国志』の注に引かれている『江表伝』(既に散逸)にわずかに記述が残されている。それによると、揚州九江郡(現在の江西省九江市)の出身で、立ち居振る舞いに優れ、優れた弁舌を以て知られていた。そのために、曹操の招聘を受けて仕官した。また、故郷が近いこともあって孫権に仕える周瑜とは顔見知りであり、その縁から周瑜を高く評価する曹操により彼を密かにヘッドハンティングするよう命ぜられた。蒋幹は供も連れず、庶民の衣服のまま揚州に赴き、周瑜に面会した。しかし、周瑜は蒋幹の訪問の目的を既に察知しており、厚くもてなすと共に自らの孫権への忠誠を強調した。蒋幹はそれを素直に認めて、何も申し出ることなく去った。
『三国志演義』においては、蒋幹はこのエピソードを膨らめて赤壁の戦いの一場面として演出している(『江表伝』には蒋幹の周瑜への説得の時期は示されていない)。『演義』においては、蒋幹は説客として周瑜を登用する目的を持ちつつ、孫権軍の情報を盗み出す諜報官の役割も担って潜入した。ところが逆にそれを見抜いた周瑜に偽手紙を掴まされてしまい、その偽手紙を信じた曹操によって、水軍の将軍である蔡瑁らが処刑されてしまう。北方軍主体の曹操軍には荊州出身の蔡瑁らのほかに水軍に長じた将がおらず、また偶然の遭遇を装った龐統に欺かれたりと、散々な人物として扱われている。これが赤壁の敗北の大きな原因の一つとなるのであった。