蒼樹山秀樹
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蒼樹山 秀樹(あおぎやま ひでき、1970年2月18日 - )は滋賀県彦根市出身の大相撲力士。、時津風部屋所属。本名は寺木 秀樹(てらき ひでき)。身長181cm、体重152㎏。最高位は西前頭筆頭(1996年7月場所、1998年5月場所)。趣味はパチンコ、テレビゲーム。また、大の阪神タイガースファンとしても有名である。
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[編集] 来歴
1985年3月場所初土俵。初めて序ノ口に付いてから10連敗があったが、その後は順調に番付を上げて行き1991年11月場所には十両に昇進した。新十両の場所は負け越して幕下に陥落。1場所で十両に復帰してからは、十両に定着し、1993年3月場所に新入幕を果たした。当初は十両との往復が続いたが、1995年11月場所に4度目の入幕してからは幕内に定着。1997年9月場所には東前頭2枚目の地位で貴乃花との相撲を制し新三役を期待されたが、終盤に負けが込み6勝9敗と負け越してしまった。その後も何度か三役昇進が覗える地位に番付を上げることはあったが昇進はならなかった。2000年1月場所に右アキレス腱を断裂し、以降、思うような相撲が取れなくなり十両に陥落することが多くなった。2003年11月場所は西十両8枚目まで陥落し、初日からの9連敗もあり10日目を最後に現役を引退し、年寄・枝川を襲名した。現在は時津風部屋の部屋付きの親方として後進の指導を行っている。
[編集] エピソード
- 兄も同部屋の元取的(最高位は序二段)であり、蒼樹山を名乗るまでは兄の使っていた木の名札を受け継いで使用していた。
- 前述の通り、角界きっての阪神タイガースの大ファンで知られる。偶然にも初土俵の年と引退した年に阪神が優勝している。また、初土俵直後と引退直前には共に10連敗を喫しており、後日談として「阪神が優勝する年に入門して引退し、両方とも10連敗している。阪神ファンの自分らしくて良い」とも語っている。
- 2001年3月場所2日目には、十両の土俵で首を痛め途中休場。このまますべて休場してしまえば幕下陥落が必至だったため、6日目から再出場し8勝4敗3休と見事勝ち越しを決めた。
[編集] 主な戦績
- 生涯成績:628勝645敗74休(113場所)
- 幕内成績:223勝314敗33休(38場所)
[編集] 三賞
- 敢闘賞:1回(1998年3月場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:2回(1993年1月場所、2001年9月場所)
[編集] 改名歴
- 寺木 秀樹(てらき ひでき)1985年3月場所~1991年11月場所
- 蒼樹山 秀樹(あおぎやま-)1992年1月場所~2003年11月場所
[編集] 年寄変遷
- 枝川 秀樹(えだがわ ひでき)2003年11月18日-