蔡ヨウ
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蔡邕(さいよう、132年 - 192年)は、後漢末期の官僚。蔡琰(蔡文姫)の父。
清廉潔白な人物で、宦官に嫌われて官職を追われたこともある。董卓が後漢王朝の実権を掌握したとき、侍御史治中に任じられるが、わずか三日後には尚書、その後も侍中、左中郎将と異例の昇進をされるほど、董卓に気に入られた。彼は歴史家でもあり、後世に評価される史書をいくつも書き残している。
192年、董卓が殺されたとき、その死を嘆き悲しんで涙を流したため、それに怒った王允によって殺害されてしまった。ただし、裴松之はこれは全くのデタラメであると提言している。しかし、范曄の『後漢書』は蔡邕が董卓の死を嘆き悲しんだという説を採用している。