藤原高衡
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藤原 高衡(ふじわら の たかひら、生年未詳 - 建仁元年2月29日(1201年4月4日))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。奥州藤原氏第三代の藤原秀衡の四男。通称を本吉冠者という。
父秀衡存命時においては、陸奥国桃生郡の本吉荘の荘司を務めていたとされる。秀衡死後、四代目となった兄の泰衡は源頼朝と奥州合戦を戦い滅亡するが、その際高衡は下河辺行平を通じて降伏し捕虜となった。鎌倉に護送された後、相模国に配流されたが、後に赦免され、暫くは鎌倉幕府の客将のような存在であったと言われる。
1201年、城長茂らが幕府転覆を図った建仁の乱においては、謀叛の一味に加わり京に潜入する。長茂の決起が失敗すると、一味からの離脱を図り藤原範季の邸宅に逃げ込むが、結局仲間によって連れ戻され、最後は幕府の追っ手によって討ち取られた。
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