西川貴教のallnightnippon SUPER!
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西川貴教のallnightnippon SUPER! (にしかわたかのりのオールナイトニッポンスーパー)はニッポン放送の深夜レーベルLF+Rで放送されていたallnightnippon SUPER!内の番組である。
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[編集] 概要
パーソナリティは西川貴教。1999年3月30日に放送開始し、allnightnippon SUPER!枠終了に伴い2003年3月25日に終了。月曜日のロンドンブーツ1号2号とともにallnightnippon SUPER!開始から終了まで番組を担当した。この番組が開始する前、西川はオールナイトニッポン金曜1部を担当。
番組開始当時T.M.Revolutionの活動を封印していたためタイトルは「西川貴教の―」となっていたが、封印解除後タイトルが「T.M.Revolution 西川貴教の―」となっていた時期があった。しかし、2001年ごろから再び「西川貴教の―」と表記を戻した。
同番組はこの後に放送されていた番組のパーソナリティーと積極的に交流をしていた。初期は火曜日の@llnightnippon.comを担当していた加藤晴彦、さらには西川がオールナイト月曜2部を担当していた頃に月曜1部を担当していた福山雅治と3人で「オールナイト3兄弟」トリオを組んでいた。また、末期のころにはニッポン放送で火曜日の深夜を担当していたグローバー義和・土屋礼央・175R SHOGOとともにしぐれにというバンドを組んで2002年のクリスマスにラジオ・チャリティー・ミュージックソンでミニライブを行った。
同時間帯の後番組は木下明水のオールナイトニッポンいいネ!。西川は引き続き、オールナイトニッポン月曜日に移動して番組を継続していた。
[編集] 放送時間
- 毎週火曜日22:00~24:00
[編集] コーナー
はがき職人のコーナーが中心だった。なお、一部コーナーは西川貴教のオールナイトニッポンでも継続されたので、重複する内容はそちらを参照のこと。
[編集] ネオ大門軍団団長西川貴教のバイオレンス取り調べ室
- 西部警察風に裁判所に置き換え、疑惑があるリスナーや裏番組のBATTLE TALK RADIO アクセスのリスナーらに電話し裁きにかけていた初期の人気コーナー。コーナーにクレームがついた為、1999年9月に終了。
[編集] 踊るダメ人間日記
初期には、ダメ人間リスナーを募集し、女子リスナーとお見合いさせる「恋するハニカミ!」的なコーナーもあった。
[編集] ちょボラ
- 当時公共広告機構がやっていたCM「ちょボラ」(ちょっとしたことからボランティア活動を行おうという内容)に則し、こんなことをしてみたというネタを送るコーナー。コーナーの頭にはCMで使われていたさだまさしの曲もそのまま使われていた。2000年12月に終了。
- 2000年7月、ゆずのallnightnippon SUPER!のコーナー『21世紀のハイチーズ』と「内容が似通っている」として紛争になり、翌8月にコラボ(相互乗り入れ)対決で決着をつける事に。結果は西川軍の圧勝だったが、ゆず側が「ハガキ職人の一部が裏切り行為をした」という事で最終的に「お互いそのままにして触れなかった」とした。
[編集] ロックスターの戯言
[編集] マル得ネットサーフィン
[編集] 本当にあったら怖い話
[編集] オーディション
- 本当のダメ人間も恋したっていいじゃない!
- 初期に行われた「踊るダメ人間日記」の派生版。最終的にリスナーのユースケと青森県の女子リスナーがお見合いした。
- ミスリスナーオーディション
- 2002年8月~2003年1月に「レイブの一環」で行われたオーディション。ディレクターの岡部豊が「タックル」されると自然消滅した。声優の中島沙樹らが参加した。
[編集] スタッフ
[編集] 歴代ディレクター
- 初代:三宅正希(SUPER開始~99年6月)
- 2代目:早崎一郎(99年7月~9月)
- 3代目:早渕大輔(99年10月~00年3月)
- 4代目:岡部豊(00年4月~SUPER終了)
[編集] 歴代アシスタントディレクター
- 初代:石田誠(SUPER開始~02年9月)
- 2代目:福田大介(02年10月~SUPER終了)
[編集] ミキサー
- 初代、3代目・斉藤一志
- 2代目・山田智恵
- 4代目・大沢和隆
[編集] メールアドレス
- nishikawa@allnightnippon.com