趙翼
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趙 翼(ちょう よく, 1727年 - 1812年)とは、中国、清朝の代表的な考証学者の一人である。江蘇省武進県の出身。字は耘松、号は甌北。
商人の家に生まれたが、乾隆帝に認められ軍機処の章京を務めた。その後、1761年、進士に及第する。1766年、広西鎮安府の知府となる。本来は殿試一甲第一(状元)であった筈が、偶々一緒に殿試を受けた者の中に災害被災地域出身の受験者がおり、その人物が恩賜によって特別に一甲第一待遇を受ける事になった。その一方で、趙翼は辺遠の地方官を遍歴することに憤ったのか、一時期、官途を去り、郷里に戻る。1787年、旧知の仲の閩浙総督の李侍尭の幕僚の一員となった。その後は、安定書院の主講として著述に専心した。
[編集] 主著
- 陔余叢考
- 二十二史箚記
[編集] 伝記
- 清史稿巻490
- 清史列伝巻271
- 碑伝集巻86
[編集] 参考図書
- 宮崎市定『中国文明の歴史9清帝国の繁栄』(中公文庫、2000年)ISBN 4122037379